Pantofola d’Oro (パントフォラドーロ) TSL20 CALF LEATHER ローカット レザー スニーカー BLACK (ブラック・BLK) made in italy (イタリア製) 2018 秋冬新作
Pantofola d’Oro (パントフォラドーロ) TSL20 CALF LEATHER ローカット レザー スニーカー BLACK (ブラック・BLK) made in italy (イタリア製) 20
Pantofola d’Oro / パントフォラドーロ
The origins / 奇跡の物語
パントフォラドーロの創始者エミディオ・ラザリーニは、1886年からイタリアのアスコリで靴屋を営んでいた祖父と父から受け継いだ靴職人としての技術を地道にまもりながら、アスコリ・ピチェーノ旧市街の中心部フォルテッツァ通りにある小さな工房で実直に働いていた。
1940年代、若きエミディオは日々の仕事が終わると趣味のレスリングにのめり込んでいた。しかしレスリングでは、何とも不快で足に合わない靴を履かなければならなかった。靴職人の息子であり孫であると同時に自身も靴職人として腕を奮っていたエミディオは、自らレスリング用の靴を作ることを決心。それは、柔らかく足を包みこむような機能的で完璧な履き心地のレスリングシューズであった。こうしてエミディオが作った新しいレスリングシューズは、瞬く間に町中の話題となり、レスリング仲間から毎日、注文が入ってくるようになった。
こうしてパントフォラドーロの“奇跡の物語”が始まった。
1950s / サッカーシューズへ
エミディオは、自分が考案したシューズが他のアスリートにも役立つことに気づいた。地元のサッカークラブチーム、アスコリに連絡してみると、すぐに採用されることになった。時とともに少しずつ改良されたそのサッカーシューズは、その後、トップチームのプレーヤーにも提供されるようになった。彼の作るサッカーシューズの秘密は、柔らかいカーフスキンを使用した製のインソールにあった。
誰もが口を揃えこのシューズを賛美し、もはやサッカーシューズは堅くて足を締めつけるものではなくなり、折り曲げられるほど柔らかいものになった。足が自由に動き回れるようになり、実際、ボールを撫でまわしながらも、それをキックできるようになったのである。
サッカー界の小さな巨人と言われたガリンシャの例は特に象徴的だ。「小鳥」というあだ名のガリンシャには子どもの頃から先天的な下肢の奇形があった。しかしエミディオという素晴らしい職人との出会いから彼の作ったシューズを履き、1958年のワールドカップで誰もが認めるヒーローとなった。
1959年、ユベントスの伝説的プレーヤー、ジョン・チャールズは「これはシューズではない。スリッパだ! 金のスリッパだ !」と称賛した。
のちに世界中のプレーヤーに愛されることになり史上最高のサッカー選手が愛用するシューズという栄誉を与えられたそのサッカーシューズは「金のスリッパ」と名付けられたばかりというのに、すでに黄金期のレアルマドリードの偉大な3選手、すなわち、ミュラー、プスカシュ、そしてディ・ステファノたちにも愛用されていた。
1960s / 絶大な信頼
1960年代はミラノが世界のサッカーのメッカであった。ミランとインテルが首位の座を常に争っていた。サッカーカードも爆発的なブームとなり、パントフォラドーロはその頃までにはどの競技場においてもお馴染の光景になっていた。シボリやリベラといったポイントゲッターにとって、またマッツォーラのような抜け目のないフォワードにとって、そしてリーバ、ハーラー、ブルニチ、アマリウドのエネルギーと執拗さにとって理想的な道具(シューズ)となっていた。
旧ソ連のナショナルチームに所属した伝説的ゴールキーパー、ヤシンも「パントフォラドーロ」に絶大な信頼を寄せていた。
1970s / サッカー競技を越えて
パントフォラドーロの決定的な神聖化は70年代にやってきた。この年代では全世界がオランダのヨハン・クライフの足元にひれ伏し、彼のシューズのタッチを世界中のサッカーファンや選手が追いかけるようになった。イタリアではその同じシューズをカペッロ、コンティ、モリニ、プルッツォ、そしてスピノーシといった有名選手が履いてプレーしていたが、なかでも現役時代に7つの優勝を獲得したロベルト・ベッテガが圧巻だった。そのころのユベントスは向うところ敵なしだった。
「パントフォラドーロ」の名はサッカー界の枠を越えて高まっていった。
モーゼルやキアプッチのような自転車競技のチャンピオンたちもジロ・デ・イタリアのチャンピオンが着るピンクのジャージーに合うシューズの製作をエミディオに頼むようになっていた。
1980s – 2000s / 輝く三ツ星
80年代は、いわば「三ツ星の輝く」10年間であった。1982年7月11日、イタリア、マドリッドで3度目の世界チャンピオンの座に輝く。当時、スポーツシューズ市場ではサッカーシューズといえば、「パントフォラドーロ」の「三ツ星」が有無を言わさぬ存在となっていた。
ワールドカップ・トーナメントで敗れた2人の偉大なブラジル人プレーヤー、ファルカンとセレーゾの足にもそれは履かれていた。しかし彼らは返り咲いた。ニルス・リードホルムの指揮するAS ローマに優勝をもたらしUEFAチャンピオンズCUPでは準優勝をもたらすという偉業を成し遂げた。
ブラジル人プレーヤー、ジルセウも長いプロ選手生活の間、パントフォラドーロを決して手放さなかった。パントフォラドーロはヨーロッパのクライフそして南米のファルカンの次にアフリカ人という大きな味方を得た。カメルーンの丌屈のライオン、ロジェ・ミラである。
ミラは畏敬すべき42歳という年齢で94年のワールドカップ米国大会でゴールを決める偉業を果たしたのである。
Today / ハンドメイド・イン・イタリア
2000年の到来とともにパントフォラドーロにも新時代が始まった。それはサッカーフィールドに伝統と高品質の原材料の選択、手作りの「メイド・イン・イタリア」製品そして厳選された高品質のレザーを丁重に扱うという価値を呼び戻したいという会社の再スタートであった。
また本格的なサッカーシューズを製造する傍ら、その蓄積されたノウハウを生かし、古きよき時代のサッカーシューズを彷彿とさせる、知的でノスタルジックな雰囲気を漂わせた大人の為のラグジュアリーシューズブランドとしても名を広める。
熟練された職人によるハンドメイドの確かなシューズ作り、選び抜かれた素材、洗練されたデザインの中に光る独特なアイデンティティーは秀逸で、シューズ作りの本場イタリアでも屈指のブランドとしてファッショニスタから注目が集まる。
それこそまぎれもなく、パントフォラドーロの時代の再来なのである。
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Pantofola d’Oro / パントフォラドーロ 1886年創業。イタリ中部のアスコリという街のサッカーチームにスパイクを供給し選手たちの足元を支えたことから、130年という長いPantofola d’Oro(パン